2026.08.07
スタートアップ企業の株式価値評価(第2回)
~株式価値総額をどのように分配するか・OPM(オプション価格法)の基本~
M&A
事業承継

目次
1. はじめに
1.1 第1回の振り返り
第1回のコラム(スタートアップ企業の株式価値評価(第1回)~優先株式の仕組みとM&A時の対価分配の考え方(みなし清算条項とは何か)~)では、スタートアップが普通株式に加えて優先株式(種類株式)を発行すること、そしてM&Aによるイグジットの際には「みなし清算条項」に基づいて、まず優先株主に出資額相当が優先的に分配され、その後の残額が分配されることを確認しました。この仕組みがあるために、IPOの場合とは異なり、M&Aでは普通株式と優先株式の1株当たり価値は一致しません。
1.2 株式価値評価における2つの問い
ここから、スタートアップの株式価値評価には性質の異なる2つの問いがあることが分かります。1つは「会社全体の株式価値総額はいくらか」という総額算定の問いであり、もう1つは「その総額を普通株式・優先株式・新株予約権などの間でどのように分けるか」という分配の問いです。
DCF法やマルチプル法といった従来の評価手法は、前者(株式価値総額の算定)には有効ですが、後者(種類株式間への分配)には直接答えることができません。M&Aを出口に見据える局面では、後者の「分配」の視点が不可欠となります。
1.3 本コラムの構成
第2回では、まず株式価値総額の算定の考え方を整理し(第2節)、次に、分配において考慮される種類株式の権利を確認したうえで、総額を種類株式間に分配する代表的な手法を概観し(第3節)、その中心となるOPM(オプション価格法)の基本的な仕組みを説明します(第4節)。具体的な数値計算と実務上の留意点は、続く第3回で取り上げます。
2. 株式価値総額の算定 ― 分配の出発点
本節では、分配の前提となる「株式価値総額」をどのように算定するかを、日本公認会計士協会の経営研究調査会研究報告第32号「企業価値評価ガイドライン」(2007年公表、2013年改正)および同第70号「スタートアップ企業の価値評価実務」(2023年)を踏まえて整理します。
2.1 事業価値・企業価値・株主価値の関係
価値の概念は、まず事業から生み出される価値である「事業価値」があり、これに非事業用資産の価値を加えたものが「企業価値」、さらに企業価値から有利子負債(純有利子負債)を控除したものが「株主価値(株式価値総額)」となります。OPMをはじめとする分配手法が分配の対象とするのは、この株主価値(株式価値総額)です。
2.2 評価の3つのアプローチとスタートアップでの適用
一般に企業価値評価の評価手法はインカム・アプローチ(DCF法等)、マーケット・アプローチ(マルチプル法・市場株価平均法等)およびネットアセット・アプローチ(時価純資産法等)の3つに整理されます。
スタートアップは先行投資により赤字が先行し、価値の大部分が将来の期待に依存するため、純資産を基礎とするネットアセット・アプローチは馴染みにくく、将来キャッシュ・フローに基づくインカム・アプローチ(特にDCF法)が中心となります。
2.3 VCのハードルレートを用いたDCF法
スタートアップは不確実性が極めて高いため、通常の加重平均資本コスト(WACC)では将来キャッシュ・フローのリスクを十分に反映できません。そこで実務では、ベンチャーキャピタル(VC)が用いる非常に高い期待収益率(VCのハードルレート)を割引率としてDCF法により株式価値総額を計算する方法がよく見られます。このVCのハードルレートには、スタートアップの予測キャッシュ・フローの大幅な変動リスク、倒産リスク、非流動性リスク、各種取引コスト、想定資本コスト等がすべて含まれるものとされています。 経営研究調査会研究報告第70号(日本公認会計士協会)では、AICPA(米国公認会計士協会)の評価ガイダンスを基に、シードからレイターまでのステージ別ハードルレートを整理しており、初期ステージほど割引率は高く、成長段階が進むにつれて低下していきます。
【「AICPA評価ガイダンス」を基にしたステージ別割引率(ハードルレート)】
| ステージ 区分 |
研究開発・ビジネスの状況 | リスク の状況 |
出資者 | 事業計画の状況 | VCレート |
|---|---|---|---|---|---|
| シード | 研究開発・プロトタイプ 試作 |
技術的:高
商業化:高
|
友人、家族、 VC |
売上はほぼない。 (試作売上等のみ) |
50% ~70% |
| アーリー | プロトタイプ制作から 商業化 |
技術的:低
商業化:高
|
エンジェル投 資家、VC |
売上は計上されるものの 黒字化は達成できていない。 |
40% ~60% |
| レイター | ビジネスモデルの確立 |
技術的:低
商業化:低
|
VC、戦略的 パートナー |
売上が急拡大するとともに 黒字化を達成 |
30% ~50% |
| IPO前 | 将来直近でIPO予定 | 20% ~35% |
2.4 直近ラウンドの発行価格とバックソルブ
スタートアップは比較的短期間に複数回の資金調達を行うため、直近の資金調達ラウンドにおける優先株式の発行価格は、評価の重要なアンカー(参照点)となります。OPMを「逆算(バックソルブ)」に用いると、直近ラウンドで投資家が実際に支払った優先株式の価格に整合するように株式価値総額を逆算でき、その総額を出発点として他の種類株式へ分配することができます(バックソルブは改めて第3回で触れます)。
3. 株式価値総額を種類株式間に分配する手法
3.1 分配において考慮される権利・考慮されない権利
第1回では、優先株式(種類株式)に、優先的な配当を受ける権利や、みなし清算の際に出資額相当を優先的に受け取る権利など、さまざまな権利が付随することを確認しました。株式価値総額をどのように分けるかを考えるうえでは、まず、こうした権利のうち「どれが価値の配分に反映されるのか」を押さえておく必要があります。種類株主に与えられる権利のすべてが、定量的な価値配分の対象になるわけではないからです。
経済産業省「未上場企業が発行する種類株式に関する研究会報告書」は、AICPA(米国公認会計士協会)の評価ガイダンスを基に、種類株主の権利を「経済的に有利な権利」と「企業活動をコントロールできる権利」の二つに大別し、それぞれの権利について、(i) その価値を客観的に測定できるか、(ii) 企業価値(株主価値総額)の配分において通常考慮するか、を整理しています(研究報告第70号もこの整理を紹介しています)。結論を先取りすると、議決権や取締役選任権といった支配に関わる権利は、その価値を客観的に測りにくく、通常は価値配分では考慮されません。他方、累積型の配当優先権、残余財産の優先分配権、転換権といった経済的権利は、測定可能でありかつ配分において考慮されます。
【経済的に有利な権利と価値配分の関係】
| 権利内容 | 価値を客観的に 測定可能か | 価値配分で通常 考慮するか |
|---|---|---|
| 配当優先権(非累積型) | × | × |
| 配当優先権(累積型) | ○ | ○ |
| 残余財産(流動化事象)の優先分配権(非参加型) | ○ | ○ |
| 残余財産(流動化事象)の優先分配権(参加型) | ○ | ○ |
| 強制償還請求権 | × | × |
| 転換権(固定・変動比率) | ○ | ○ |
| 希薄化防止条項 | △ | × |
【企業活動をコントロールできる権利と価値配分の関係】
| 権利内容 | 価値を客観的に 測定可能か | 価値配分で通常 考慮するか |
|---|---|---|
| 議決権 | × | × |
| 拒否権 | × | × |
| 取締役選任権 | × | × |
| ドラッグ・アロング・ライト | × | × |
| タグ・アロング・ライト | × | × |
| 先買権 | × | × |
このように、定量的な価値配分の対象となるのは、主として客観的に測定可能な経済的権利――とりわけ第1回で取り上げたみなし清算条項に基づく優先分配――です。以下で扱う分配手法は、いずれもこの優先分配のルールをどのようにモデル化するかという問題に帰着します。次に、その代表的な手法を概観します。
3.2 分配手法の全体像
株式価値総額を種類株式間に分配する代表的な手法としては、現在価値法(CVM)、オプション価格法(OPM)、確率加重期待リターン法(PWERM)、およびこれらを組み合わせるハイブリッド法があります。どの手法が適切かは、評価時点における会社の段階や、IPO・M&Aといった将来のイグジット・シナリオをどの程度具体的に描けるかによって異なります。
3.3 現在価値法(CVM:Current Value Method)
評価時点で会社を直ちに売却・清算したと仮定し、現在の株式価値総額をみなし清算ルールに従って各種類株式へ按分する手法です。
単純で分かりやすい一方、将来の価値変動、とりわけ普通株式が持つアップサイドの可能性(オプション価値)を反映できません。会社が極めて初期の段階にある場合や、直近にイグジットが確実視される場合に限って妥当性を持ちます。
3.4 オプション価格法(OPM:Option Pricing Method)
各種類株式を、株式価値総額に対する「行使価格の異なるコール・オプションの組合せ」として捉え、ブラック・ショールズ・モデルを用いて分配する手法です。
将来の不確実性(ボラティリティ)と時間価値を織り込めるため、普通株式が持つアップサイドの可能性を評価に反映できます。資本構成が複雑で、将来シナリオを個別に確率設定することが難しい場合に広く用いられます。本コラムの中心テーマです。
3.5 確率加重期待リターン法(PWERM:Probability-Weighted Expected Return Method)
将来の複数のイグジット・シナリオ(IPO、高額M&A、低額M&A、清算など)を具体的に描き、各シナリオでの各種類株式への分配額を求めたうえで、発生確率で加重平均し、現在価値に割り引く手法です。
シナリオが具体的に描ける段階(IPOが視野に入った後期など)で有用ですが、シナリオの設定と確率付けに主観が入りやすい点に留意が必要です。
3.6 ハイブリッド法
PWERMとOPMを組み合わせる手法です。たとえば、近い将来のIPOシナリオは個別に明示的にモデル化し、「非上場のまま推移する」シナリオはOPMで分配する、といった形で両手法の長所を活かします。
3.7 各手法の長所・短所と使い分け
| 手法 | 考え方 | 長所 | 短所・留意点 |
|---|---|---|---|
| CVM | 現時点で清算した場合の分配 | 単純・客観的 | 将来の価値変動・オプション価値を反映できない |
| OPM | 各株式をコール・オプションの組合せとして評価 | 不確実性と時間価値を織り込める/シナリオ確率が不要 | ボラティリティ・満期の前提に結果が依存 |
| PWERM | 将来シナリオを確率加重 | シナリオを明示でき直感的 | シナリオ・確率の設定が主観的 |
| ハイブリッド | PWERMとOPMの併用 | 近時のIPO等を明示しつつ残りをOPMで処理 | 設計が複雑 |
4. OPMの基本的な考え方
4.1 なぜオプション理論で株式価値を分配できるのか
株式は、会社の価値から負債を返済し、優先分配を満たした後の「残余」を受け取る残余請求権です。この構造は、行使価格を負債額や優先分配額とするコール・オプションと同じです。普通株主は、企業価値が優先分配額を超えて初めて経済的な価値を得るため、ちょうどアウト・オブ・ザ・マネーのコール・オプションを保有しているのと同様の立場にあります。だからこそ、オプション評価の理論を用いて株式価値を種類株式間に分配することができるのです。
4.2 みなし清算条項を「ブレークポイント」に変換する
みなし清算条項による分配ルールは、株式価値総額の水準に応じて「次の1円を誰が受け取るか」が切り替わる構造になっています。この切替点を「ブレークポイント」と呼びます。第1回で紹介した「水が注がれる容器」のイメージ(以下)は、まさにこのブレークポイントを表していました。最初の容器(優先株主の元本部分)が満ちる水準が、最初のブレークポイント(=優先分配額)に対応します。

4.3 各トランシェをコール・オプションとして捉える
隣り合う2つのブレークポイントに挟まれた価値帯を「トランシェ」と呼びます。各トランシェの価値は、下側のブレークポイントを行使価格とするコール・オプションの価値から、上側のブレークポイントを行使価格とするコール・オプションの価値を差し引いたもの(コール・スプレッド)として求められます。こうして求めた各トランシェの価値を、そのトランシェに分配を受ける権利を持つ株主へ割り当てていきます。
4.4 ブラック・ショールズ・モデルの適用とパラメータ
コール・オプションの価値は、ブラック・ショールズ・モデルで算定します。用いるパラメータは、原資産価格に相当する株式価値総額(S)、行使価格に相当する各ブレークポイント(K)、ボラティリティ(σ)、想定イグジットまでの期間に相当する満期(T)、無リスク金利(r)です。ボラティリティや満期が大きいほど、アウト・オブ・ザ・マネーのコール・オプションに相当する普通株式の時間価値が増加し、普通株式への配分が大きくなります。
5. まとめ
- スタートアップの株式価値評価には、「株式価値総額の算定」と「種類株式間への分配」という2つのステップがある。
- 株式価値総額はVCのハードルレートを用いたDCF法等で算定し、種類株式間の分配はCVM・OPM・PWERM・ハイブリッド法のいずれかで行うことが一般的である。
- OPMは、株式を残余請求権=コール・オプションと捉え、みなし清算条項をブレークポイントに変換して、株式価値総額を種類株式間に分配する手法である。
- ブラック・ショールズ・モデルを用いることで、将来の不確実性(ボラティリティ)と時間価値を分配に織り込むことができる。
- 次回(第3回)は、具体的な数値例を用いてOPMの計算手順と実務上の留意点を解説する。
【関連用語】
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