2023.09.20

PBR1倍割れから脱出したい!理論で考えるPBR改善の方法

1. はじめに

 前回のM&Aコラム「PBRに対する誤解。自己株買いや配当増額ではPBRは改善どころか、悪化する?」では、東証が「PBR1倍割れ」を問題視したことを契機に、自己株買いや増配(株主還元策)に動く上場企業が多く見られたこと、しかしながらPBR1倍割れ企業が株主還元を行うと却ってPBRを下落させかねないことを紹介しました。
 では、株主還元策に代わる、PBRを確実に改善させる方法とは何なのでしょうか?
 今回のコラムでは、株式価値評価モデル(残余営業利益モデル)を使い、理論の観点から株主還元策(自己株買い等)に代わるPBRを確実に上昇させる方法を考えます。
 また、この考察からもう一歩踏み込んで、「PBR1倍割れ」は企業の「非効率経営の現れ」と一概に判断すべきか(言い換えると、PBRは効率経営の通信簿と言っていいのか)についてもコメントします。

2. 「残余営業利益モデル」で考えるPBRの改善方法

 PBRが1倍を切る上場企業がPBRを改善させる確実な方法を理論的に検討するため、ここでは、「残余営業利益モデル」という株式価値算定モデルを用いたいと思います。
 このモデルは、株価(株式価値)と簿価純資産を直接結び付けることから、PBR(=株価/純資産簿価)を議論するのに大変便利です。

2.1 残余営業利益モデル

 「残余営業利益モデル」とは、簿価純資産と株式価値との関係を直接示すモデルで、理論的にはDCF法や配当還元モデル(DDM)と同等のモデルです。また、このモデルは残余利益モデル(Residual Income Model(RIM)。「残余利益法」ともいう。)の一種でもあります。
 「残余営業利益モデル」は、企業が保有する金融資産及び金融負債がすべて時価でBSに計上されていることを前提として、「株式価値」を「純資産簿価」と将来の「残余税引後営業利益(EVA)」で説明します。
 まずは、モデルの主要なインプットである「残余税引後営業利益」を説明しましょう。
 「残余税引後営業利益」とは、税引後営業利益(NOPAT:Net Operating Profit After Tax)から、正味営業資産(期首簿価)について投資家が要求する利益(資本コスト)を控除した残余の利益のことです。経済的付加価値(EVA:Economic Value Added)とも呼ばれます。投資家が要求する利益(資本コスト)は、具体的には、正味営業資産の期首帳簿価額に加重平均資本コスト(WACC:Weighted Average Cost of Capital)を乗じて計算します。
 これを算式でまとめると、以下の通りです。

  残余税引後営業利益(EVA)= NOPAT - 正味営業資産(期首簿価)× 要求利回り(WACC)
 
 「残余営業利益モデル」によれば、株式価値(V)、純資産簿価(B)及び上記の「残余営業利益(EVA)」は、以下のような関係があります。

  株式価値(V) = 純資産簿価(B)+ 将来EVA期待値の現在価値

 なお、現在価値を計算するときの割引率はWACCを用います。継続企業の場合には、将来EVA期待値は、1期目、2期目、…と無限に続きます。

2.2 PBRが1倍を上回るための条件 ⇒ EVAがプラス

 次に、残余営業利益モデルの式の両辺を純資産簿価(B)で割ってみましょう。すると、以下のようになります。

  V/B = 1 + (将来EVA期待値の現在価値 ÷ B)

 ここで、現在の株価(P)が、残余営業利益モデルで計算される株式価値(V)と等しいすると(つまり、株価が残余営業利益モデルで説明できるとすると)、

  PBR = P/B = V/B となるので、
  PBR = 1 + (将来EVA期待値の現在価値 ÷ B)

と書換えられます。
 この式によれば、純資産簿価(B)はプラス(資産超過)の場合、「将来EVA(期待値)の現在価値」をプラスにすれば、PBRが1を上回ることになります。
 言い換えると、「PBR1倍割れ」とは将来EVAの現在価値がマイナスであるということです。
 ちなみに、自己株買い等は企業外部に現金が流出するだけなので、「将来EVAの現在価値」に影響を与えません。その一方で、自己株買い等の金額だけ純資産簿価(B)は減少します。
 このため、上の式からも、PBR1倍割れ(将来EVAの現在価値がマイナス)の企業が自己株買い等をする場合にPBRが下落してしまうことを説明できます。

2.3 EVAを増やすには?

 では、「将来のEVA(の期待値)をプラスにする」(つまりPBRを1倍超にする)には、どのような対応が考えられるのでしょうか。改めて、残余税引後営業利益(EVA)の定義に戻ってみましょう。

  残余税引後営業利益(EVA)
  = NOPAT - 投資家が要求する利益(資本コスト)
  = NOPAT - 正味営業資産(期首簿価) × 要求利回り(WACC)

 上の式から、EVAは、「NOPAT」、「WACC」及び「正味営業資産」の3つの要素から成り立っていることがわかります。これらの要素に応じて、将来のEVAの期待値を増やす(=PBRを上げる)ために、以下の(1)~(3)の方法が考えられます。

(1)将来NOPATの期待値を上げる
 既存事業について、投資家の期待を上回る利益を計上することや、企業が新たな成長戦略を描き投資家に訴求する等によって、将来のNOPATに関する投資家の期待を上方に修正することが考えられます。この方法は、PBR改善のための正攻法といえるでしょう。
 ただし、将来にわたって大幅にNOPATを引き上げようとすると、営業資産の増加(新規投資といってもいい。)が避けられないケースも多いです。例えば、営業利益を増やそうと、店舗・工場を建設したりM&Aを行ったりすると、通常は、固定資産やのれん等(=営業資産)が増加することになります。
 この場合、規模拡大によるNOPAT増分が、資本コスト増分(営業資産増分×WACC)を上回らないと、残余税引後営業利益(EVA)が増加しません。
 つまり、NOPATの増加のみを意識して、NOPAT増分が資本コスト増分を下回るような新規投資を実行してしまうと、残余税引後営業利益(EVA)の増加につながらない(結果としてPBRも向上しない)恐れがあるので、要注意です。
 (なお、ここでは、資本コストの計算にあたり、要求利回りをWACCとしましたが、企業が複数の事業を営む場合、または事業リスクの大きく異なる新規事業に進出する場合等には、事業の違いに応じて異なる要求利回りを採用することが適切な場合があります。)

(2)加重平均資本コスト(WACC)を下げる
 企業側のアクションでWACCを引き下げることにより、将来の残余営業利益(EVA)を引き上げる方法です。
 しかしながら、WACCを引き下げるのは、現実的にはなかなか難しい選択肢です。基本的に、WACCは企業が取る事業リスクに対応して要求される資本コストとされているからです。
 理論上は自己資本や外部借入の水準などを調整して多少WACCを引き下げる余地があるかもしれませんが、現実には企業がWACCを操作できる可能性や、それにより株価に与えられる影響は、かなり限られていると考えられます。

(3)正味営業資産の簿価を切り下げる: 減損などの資産圧縮
 正味営業資産の簿価を切り下げることは、帳簿上の処理だけで達成できるため、ある意味、将来のEVAを増加させる(つまり、PBRを改善する)最も確実な方法と言えます(ただし、本質的に企業の付加価値が増えるわけではなく、会計処理に伴いPBRが上昇するに過ぎないことに留意が必要です。)。
 特に、簿価切り下げの代表的な方法として、過去の設備投資やM&AのためにBSに残留している固定資産やのれんを減損処理することが挙げられます。多額の減損処理を行って、BSに残る過去の過大投資を清算し、V字回復を果たすイメージです。
 減損処理は、以下の2つのルート(①及び②)で将来EVAを増加させます。

  EVA(増加↑) = NOPAT(①増加↑) - 正味営業資産(②減少↓) × WACC

 ①NOPAT増加↑: 減損で将来の償却費が減少し、NOPAT増加
 ②正味営業資産減少↓: 減損額にWACCを掛けた分、資本コストが減少

 また、「残余営業利益モデル」を使わなくとも、シンプルに「減損損失を計上したからといって、キャッシュが社外に流出するものではないので、株価に影響を及ぼさない」と考えると、PBRの定義から同様の考えに至ります。
 つまり、分子(株価)が変化しない状況で、減損処理により分母(1株当たり純資産簿価)が減少すれば、当然PBRは上昇します。

  PBR(上昇↑) = 株価(不変→)/ 1株当たり簿価純資産(減少↓)

 ただし、固定資産やのれんの減損は、会計基準に従って認識されるものなので、減損処理の判断は、企業の自由な裁量に委ねられているわけではありません。
 また、減損処理のアナウンスが、それ以前に市場参加者が持っていた将来業績(キャッシュフロー)の見通しを悪化させるケースがあるかもしれません。その場合、減損処理(の公表)は株価の下落をもたらしPBRが上昇しない可能性があります。

3. 「PBR1倍割れ」=「非効率経営」か?

 さて、ある企業のPBRが1倍割れを起こしているとします。
 私たちは、その状況だけをもって、現経営陣に対し、「効率的な経営を行っていない」と批判することはできるのでしょうか?

3.1 EVAを新旧プロジェクトに分解

 ここでも、「残余営業利益モデル」を使って考えてみます。
 「残余営業利益モデル」では、株式価値を、①純資産簿価と②将来の残余税引後営業利益(EVA)の現在価値の和に等しいとします。
 ここで、②にある「将来EVA」を、現経営陣の着任後に取り組む「将来(資本未投下)プロジェクトに係るEVA」と、前任者の責任で行われた「投資済プロジェクト(既存営業資産)に係るEVA」の2つの部分に分けてみます。
 この企業の株式が「残余営業利益モデル」どおりに価格付けされていれば、企業の時価総額(P)は、以下のように分解することができます。

この企業の株式が「残余営業利益モデル」どおりに価格付けされていれば、企業の時価総額(P)は、以下のように分解することができます。

   時価総額(P)
   = 純資産簿価(B) + 将来EVAの現在価値
   = 純資産簿価(B)
    将来プロジェクトのEVAの現在価値
    投資済プロジェクトのEVAの現在価値

 この両辺を純資産簿価(B)で割ると、

 となります。

3.2 現経営陣の責任の範囲

 上記の式から、この企業のPBRが1倍割れを起こしているとすると、その原因は、以下の(1)(2)のうちのいずれか(またはその両方)と言えます。
 (1)「将来プロジェクト」のEVAがマイナス
 (2)「投資済プロジェクト」のEVAがマイナス

3.2.1 「将来プロジェクト」についての責任

 「将来プロジェクト」は、現経営陣が自ら投資意思決定を行い市場参加者に情報を開示するので、現経営陣は、「(1) 『将来プロジェクト』のEVAがマイナス」であることに責任があるといってよいでしょう。

3.2.2 「投資済プロジェクト」についての責任

 では、現経営陣は「(2) 『投資済プロジェクト』のEVAがマイナス」であることに責任はあるのでしょうか?
 「投資済プロジェクト」は、現経営陣の前任者により意思決定されたものです。また、「投資済プロジェクトに係るEVA」は、以下の算式のとおり、過去に投下された資本から減価償却等を差し引いた「正味営業資産(運転資本、設備投資やのれん等)」にWACCを乗じて資本コストを算出し、これをNOPATから控除して計算します。

  投資済プロジェクトに係るEVA
  = 投資済プロジェクトに係るNOPAT - 正味営業資産(期首簿価) × WACC

 いったんプロジェクトへの資本投下が行われてしまうと、そのプロジェクトから撤退等しない限り、その後プロジェクトの存続期間にわたり正味営業資産(帳簿価額)を裁量的に増減させることは難しいと考えられます(なお、減損損失の計上や棚卸資産等の回転期間短縮などで正味営業資産を圧縮することも考えられますが、一般に現経営陣がコントロールできる範囲は限定されていると言えます)。
 もし、前任者が、資本コストを上回るNOPATを稼げない過大な資本投下を実行した場合(過大な正味営業資産を残した場合)、現経営陣は、長期にわたり高止まりする資本コスト(正味営業資産(期首簿価)×WACC)に苦しめられる可能性があります。
 したがって、もし「投資済プロジェクトからの撤退」が採り得る選択肢でない場合には、現経営陣に「(2) 『投資済プロジェクト』のEVAがマイナス」の責任があるというのは、酷であるかもしれません。

3.3 EVAがマイナスでも「投資済プロジェクト」から撤退できない可能性

 一方で、「現経営陣は、事業ポートフォリオ再編の役割も求められている。投資済プロジェクトのEVA(将来EVAの現在価値合計)がマイナスならば、当該プロジェクトから撤退する選択肢もあるはず。前任者が投資意思決定したから、という言い逃れはできない。」という主張もあるかもしれません。
 確かに、プロジェクトの資本コスト(投下資本×WACC)が適切に計算されているならば、EVAの現在価値合計がマイナスのときプロジェクトから撤退することが合理的でしょう。
 しかし、上場企業のPBRを左右する「投資済プロジェクトに係るEVA」は、(継続か撤退かという)投資意思決定の観点からは必ずしも適切に計算されてはいません。
 「投資済プロジェクトに係るEVA」で使用される資本コストは、「正味営業資産」の期首帳簿価額にWACCを乗じて計算します。「正味営業資産」の帳簿価額は、過去の投下資本額をベースに、減価償却などの会計処理を通じて計算されるもので、必ずしも時価と一致するものではないからです。

 【2つのEVA】
  EVA① = NOPAT - ( 投下資本(時価)     × WACC )
  EVA② = NOPAT - ( 正味営業資産(期首簿価) × WACC )
(注)EVA②<0でも、正味営業資産(簿価)> 投下資本(時価)ならば、EVA①>0の場合があり得る。

 特に、投資意思決定時に収益性の低い(過大な)投資があった場合には、「正味営業資産」の帳簿価額は時価よりも大きく、資本コストは高く計算されるでしょう。
 本来、NOPATが、投下資本(時価)から計算される資本コストを上回っていれば(EVA①のケース)、「投資済プロジェクト」を継続するという判断は合理的であり、現経営陣が批判されることはないはずです。
 しかし、過去の過大投資により、正味営業資産(設備投資やのれん等)の簿価が投下資本の時価を上回る状況であれば、上記のように合理的な判断をした場合でも、「投資済プロジェクトに係るEVA」はマイナスとなり、PBR1倍割れの状況から脱せない可能性があります。

3.4 「PBR1倍割れ」は、過去の非効率な投資の現れか?

 以上の議論から、「投資済プロジェクト」に係る正味営業資産(簿価)が時価を上回っている場合には、たとえ現経営陣が、資本コストを意識した効率的な経営をしても、PBR1倍割れを解消できない可能性があることを見てきました。
 もちろん、固定資産の減損会計など、「投資済プロジェクト」の正味営業資産(簿価)が時価を大きく上回る場合に、これを時価に近づける会計ルールも整備されています。
 しかし、特に日本基準において、減損損失計上を求める場合が限定されているなど、営業資産を毎期タイムリーに時価に評価替えすることまでは求められていません。このため、過去に過大投資があった場合、比較的多額の正味営業資産残高がBSに残留し、PBRの上昇を抑える傾向も考えられます。
 したがって、「PBR1倍割れ」は、東証が指摘するように、(過去に)資本コストを上回る収益性を達成できていなかった可能性を示唆するものです(株式会社東京証券取引所 上場部「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議の論点整理」(2023年1月30日))。
 一方で、「PBRが1倍割れとなっているのは、現経営陣が、(現在も)資本コストを意識した経営を行っていないからである」と判断するのは短絡的かもしれません。過去の投資履歴がPBRに及ぼす可能性を踏まえ、過去の非効率な投資の有無とBSに残る投下済資本の簿価について分析することが望ましいといえます。

4. まとめ

  • 「残余営業利益モデル」は、株式価値と簿価純資産をつなぐ株式価値評価モデルであり、PBRを分析するのに便利である。
  • 同モデルによれば、資本コストを上回る税引後営業利益(プラスのEVA)が見込める投資を実行・継続することで、PBRは確実に上昇する。
  • 同モデルによれば、固定資産やのれんの減損計上や棚卸資産の圧縮など、正味営業資産を減少させることで、PBRは確実に上昇する(ただし、企業の付加価値が増えるわけではなく、会計処理に伴いPBRが上昇するに過ぎないことに留意。)。
  • 「PBR1倍割れ」というだけで、現在、資本コストを意識した経営が行われていない、とまではいえない。現在、資本コストを意識した経営を実践していたとしても、過去の投下資本が割高な価額でBSに残存していると、PBR1倍割れが生じる可能性があるからである。