2022.12.26

「年買法(年倍法)」には理論的根拠なし ~M&Aの株価算定で年買法(年倍法)を使う場合の問題点について解説~

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1.はじめに

M&Aにおいて、売主と買主でもっとも合意が難しいのは「株価(売買価格)」と言っていいでしょう。売主はできる限り会社を高く売りたい。買主は安く買いたい。そう思うのは自然です。その双方の利害が最も対立するのが株価だからです。
一方で、双方が利害だけを主張しては、まとまる交渉もまとまりません。何らかの方法で合意点を見つけなければ交渉は成立しません。
では、利害が対立する者同士が合意をするためにはどうしたらいいでしょうか?
ひとつの考え方は、株価の算定方法を一致させるということです。理論的な裏付けのある手法に従って算定された株価を基に、売主と買主が合理的な交渉を経て、妥協点を探り合意するというものです。

ところで、事業承継案件を中心に、最近普及しつつある「年買法」(「年倍法」と書く時もあります)という株価の算定手法があります。実はこの年買法(年倍法)には、理論的な裏付けはありません。それにも関わらず、売主と買主が、その算定結果を基に合意に導かれています。
何か、奇妙に感じないでしょうか?
本コラムでは、M&Aの専門家の間でも議論されることの少ない年買法(年倍法)について、検討してみたいと思います。

2.M&Aにおける株価評価手法

2.1 そもそも年買法(年倍法)とは何か?

そもそも年買法(年倍法)とは何でしょうか?
まず、言葉として「年買法」または「年倍法」のどちらも使われますが、より使われる頻度の高い「年買法」を本コラムでは使用します。
一般的には、以下のような算式で計算されます。

 株式価値 = 時価純資産 + 利益×3年~5年

この手法の最大の特徴は、最低限の会計知識があれば簡単に理解することができる点にあります。
ひとことで「利益」と言ってもいろいろありますが、年買法で用いられる利益には決まりはありません。一般的には、営業利益や経常利益など、税引前の概念が用いられることが多いと思います。
3年~5年という期間も、ケース毎に異なります。収益性が高く、人気業種なのであれば、長い年数が使われ、逆に不人気であれば短い年数が使われます。

また、「時価純資産」と一言で片付けていますが、これも定義によっては様々です。概ね含み損益や簿外債務などを考慮した後の価値という理解でいればいいでしょう。

2.2 一般的な株価評価手法

少し話が変わりますが、一般的なM&Aにおける株式価値の評価手法について整理したいと思います。
評価手法(評価アプローチ)としては、日本公認会計士協会が公表している「企業価値評価ガイドライン(改訂版)」に基づいて説明するのが、最もオーソドックスと考えられます。
そこでは、
①インカム・アプローチ
②マーケット・アプローチ
③ネットアセット・アプローチ
の3つに分類して説明しています。

①インカム・アプローチは、将来利益またはキャッシュ・フローに基づいて現在価値を算出する手法です。有名なものには、DCF(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー)法があります。

②マーケット・アプローチは、類似会社の市場での評価から倍率を使って相対的に価値を評価する方法で、類似会社比較法などがあります。また、上場会社そのものを、その企業の株価から評価する市場株価平均法もマーケット・アプローチの一つです。

③ネットアセット・アプローチは、貸借対照表の資産負債を時価評価する方法で、時価純資産法と呼ばれます。ある時点の貸借対照表を基礎に算定するので、静態的なアプローチとも言われます。

詳細については、企業価値評価ガイドライン(改訂版)の原典や弊社HPをご覧いただければと存じます。
https://maxus.co.jp/ma#ma-03

ここで注目していただきたいのは、「年買法」「年倍法」という言葉が、一切登場していないということです。日本公認会計士協会が公表しているガイドラインには、言及がないのです。不思議に感じないでしょうか?

また、業界の専門家やMBAの学生などがよく参照するコーポレート・ファイナンスの教科書(例えば、「企業価値評価 バリュエーションの理論と実践 第7版、上下、マッキンゼー・アンド・カンパニー他著、ダイヤモンド社」や「コーポレート・ファイナンス 第10版、上下、ブリーリー他著、日経BP社」など)にも、「年買法」「年倍法」のやり方については説明がありません。
理由は後ほど説明しますが、理論的な方法ではないからだと思われます。

余談ですが、一般社団法人 金融財政事情研究会が主催している資格に「事業承継・M&Aエキスパート」がありますが、その試験問題には、年買法が登場します。理論的ではないものを資格試験の問題に出すというのはやや不思議な感覚をもってしまいますが、筆者だけでしょうか。

2.3 専門家が用いる株価評価手法

上場会社が株式公開買付け(TOB)やその他の手法でM&Aを行う際、プレスリリースを発表しますが、見たことはありますでしょうか?最近の多くの事例では、第三者算定機関に株価算定を依頼しており、その算定手法の概要もプレスリリースに説明があります。
その中で頻繁に用いられるのは、DCF法と類似会社比較法です。上場企業の場合には、それらに加えて市場株価平均法が使われます。頻度は少ないですが、修正純資産法が用いられることも稀にあります。
金融機関などの規制業種などでは、その他の特殊な評価手法が用いられる場合もありますが、いずれにしても、上述した3つのアプローチのいずれかに従った方法が用いられています。
その一方で、第三者算定機関が上場会社の案件で年買法を使ってプレスリリースに開示している事例は、筆者の記憶にはありません。

つまり、株価算定のプロは、上場会社の株式価値評価において、年買法は使わないのです。理由は簡単で、理論的な評価手法ではないからです。 理論的な評価手法ではない方法で、株価評価を行って、「この株価は適正です」とは言えないからです。

3.年買法(年倍法)は理論的ではない

3.1 年買法(年倍法)は理論的ではない

株価算定の3つのアプローチには、それぞれ理論的な根拠があります。
インカム・アプローチは、将来利益(キャッシュ・フロー)から現在価値を導く方法で、最も理論的と考えられています。筆者もそう思います。
マーケット・アプローチは、相対的な方法ではありますが、(実際にはそんなことはあり得ませんが)完全にリスクも財務予測等も全く同じ類似会社があれば、理論的に同じ倍率になると言えます。
ネットアセット・アプローチも、静態的な価値を算出するという前提にたてば、評価手法のひとつとして確立したものとなっています。

一方で、年買法はどうでしょうか?年買法について、何か確立した理論は見たことがありません。学者や有識者が、書籍や論文で説明したものに、お目にかかったことはありません。少なくとも、筆者が知る限りは、理論的なアプローチとは言えません。

3.2 年買法(年倍法)に根拠は全くないのか?

では、理論的なアプローチとは言えない年買法は、どういう根拠で使われているのでしょうか?
しばしば、説明で使われるのは、「営業権(のれん)」を使った説明です。
株式価値の定義を、以下のように決めてしまうのです。

 株式価値 = 時価純資産 + 営業権

そして、この営業権の決め方を、「利益の3~5年分」として考えるのです。
この3~5年は「税務上の営業権の償却期間は5年間」ということに整合します。また、財務会計の日本基準では、償却期間は20年以下となっていますが、税務に引きずられて5年程度を使うことも多いと思います。そのあたりから、償却負担のイメージを考えて、税前利益(営業利益や経常利益等)の5年程度をしていることが多いと思います。
つまり、慣習的なものという程度と考えて差支えはないと思います。

3.3 あえて理論を探すなら(割引超過利益モデルを使って)

年買法は理論的ではないと言いましたが、一定の前提をおけば、理論的な説明をすることもできます。

割引超過利益モデル(残余利益モデル、学者の名にちなんでオールソンモデル、EBOモデル等とも言う)という手法をご存じでしょうか?
一定の投下資本に対して、必要となる資本コストを超えて獲得した利益(超過利益)を一定の割引率で割り引いて現在価値を算出し、それに投下資本を加えて、株式価値(定義次第では企業価値となる)を算出する方法です。
詳細は他に譲りますが、簡単に述べると以下のように表現されます。

株式価値 = 純資産 + 超過利益の割引現在価値

こちらの算式は、先ほどの年買法の算式と似ていないでしょうか?
この「超過利益の割引現在価値」の部分を極めて簡便的にしたものが、「利益の3~5年分」という仮定をおけば、理論的な割引超過利益モデルと年買法は簡便的に一致するのです。つまり、超過利益の概念を簡略化し、更に現在価値の概念も簡略化すれば、年買法の説明も理論的にできるということです。一方で、かなり強引な説明とも言えます。
(ここまで考えて年買法を使っている人は殆どいないと思います。かなり細かい説明ですので、わからない方は無視して頂いて構いません。)

4.なぜ年買法(年倍法)が広まっているのか

このように、理論的にはあまり根拠のない年買法が、実際の事業承継型M&Aの実務では一定程度使われています。それはなぜでしょうか?
それは、①計算のしやすさ、②説明のしやすさ、③両手仲介会社の増加、という3つの側面があると筆者は考えています。

①計算のしやすさ
先の説明のように、純資産額と利益額があれば答えが決まります。これは、非常に大きなポイントです。
DCF法は、将来キャッシュ・フローを予測し、それに使う割引率を決めなければいけません。将来キャッシュ・フローの予測は、シナリオによって大きく異なります。また、割引率が少し変化しただけで、株式価値が大きく変化することもあります。その背後にある理論も、突き詰めればかなり複雑です。
それと比べて、年買法は断然わかりやすいと言えます。特に非上場企業のオーナーであれば、理論的正しさよりも、わかりやすさを重視することも理解できます。

②説明のしやすさ
年買法を使うときに、「過去と将来の両方を加味した手法である」という説明がなされることがあります。
つまり、「オーナーが生み出してきた過去の蓄積(=純資産)に、将来の価値(利益の●年分)を加味した手法であり、売主にも買主にも配慮した手法である」というような言い方です。
実際のところは、あまり理論的な説明になっていないのですが、このような説明を言われると「そうだね」と思ってしまうから不思議です。

③両手仲介会社の増加
年買法の普及においては、両手仲介会社の増加がかなり大きな要因になっていると思います。
両手仲介会社は、売主とも買主とも契約を行い、双方から報酬を受領します。この場合、売主も買主も売買金額にある程度納得する必要があります。その時に便利なのが、年買法なのです。何年分の利益を使うかなどの論点はあるものの、そこさえ決まれば、決まった金額が算出されます。他の手法に比べればはるかに合意しやすいといえます。
また、純資産法のように過去の蓄積だけでなく、将来利益の金額も加味されているので、売主にも買主にも配慮しているように見えます。
つまり、両手仲介会社としては、売主も買主も、年買法を使えばある程度金額について説得しやすいということなのです。

本当にこれで問題ないのでしょうか?

5.年買法(年倍法)を使用した場合の問題点

5.1 合意しやすいのであれば問題はないか?

M&Aの売買価格の決定においては、極論(かなりの暴論)を言えば、理論などどうでもよく、売主と買主が納得して合意さえすればいいと言えます。実際の実務でも、売主も買主も全く理論的でない、時には理論的に誤った計算方法をしているが、なぜか金額で合意した、などというケースすらあります。
上場会社のM&Aで第三者算定機関が絡むようなケースではこれでは困りますが、オーナー企業の場合はオーナーが株主ですので、株主が納得していればいいと言えます。
したがって、年買法が仮に理論的に確立された方法ではなくても、双方が納得しているなら問題はないと言えます。

5.2 問題のあるケース

一方で、年買法で決定した場合に問題があるケースもあります。売主と買主のどちらかが、明らかに損をしているような場合です。

①将来収益の伸びが高い会社や、安定性が高い会社 
この場合、例えば利益の3~5年分というのは、評価が低すぎる可能性があります。DCF法など、将来収益や将来の低いリスクを考慮に入れる方法であれば、もっと高く評価されるべき会社が、年買法では株価が低く評価されてしまう可能性があります。

②アセットをあまり使わない会社
この場合も評価が低すぎる可能性があります。不動産や在庫などを持たない会社は、純資産が低くなる傾向があります。将来収益に基づいて計算すれば高い価値になる場合であっても、純資産が低いために、年買法では株価が低く計算される可能性があります。

③過去の蓄積はあるが、将来が不透明な会社
一方で、過去の蓄積はあるが将来性はあまりない会社は、年買法による評価が高すぎる可能性があります。純資産が換金可能性の高いものから構成されていれば高い評価も肯定されますが、工場の不動産価値が高い場合はどうでしょうか?いくら不動産価値が高くても、その事業をやめない限り工場は売れません。不動産としての価値が高い工場で製造した製品であっても、収益性が低ければ儲けになりません。このような場合でも、年買法では株価が高く計算されてしまう可能性があります。

5.3 ではどうすればいいのか?

このように、年買法にも大きな問題がありますし、そもそも理論的な方法とは言えません。では、どうすればいいのでしょうか?

①他の手法も組み合わせる
まずは、他の手法でも計算してみる、ということをお勧めします。
そもそも、M&Aの売買価格の算定方法はいろいろありますし、同じ評価手法でも、その前提の置き方次第で結果は異なります。ですから、仮に年買法を使うとしても、DCF法や類似会社比較法などの結果も考慮にいれて、それぞれの特徴を考慮して結果を吟味すればいいと思います。

②「マーケットに聞く」(オークションを行う)
一方で、結局、どんなに机上の計算を行っても、相手がいなければはじまりません。両手仲介会社が紹介してくれたその1社が、本当にベストプライスを出しているのか?それが合理的な価格なのか?年買法やほかの方法で計算した価格がベストプライスだ、とは言えない場合もあるでしょう。
「価格はマーケットに聞け」という言葉は、M&Aでも当てはまります。
両手仲介会社の場合には、売主だけでなく、買主からも報酬をもらいますから、買主として何社にも声をかけるのは嫌う傾向があります。
また、複数の買手候補に声をかけて競わせる手法、いわゆる「オークション方式」も、仲介会社に任せるには不都合が多すぎます。
(詳細は「M&Aオークションのメリット ~両手M&A仲介業者の深刻な利益相反問題について~」を参照してください)
両手仲介会社を使って、年買法で算定された結果が本当に正しい評価なのか?
実際に疑問に思うこともあります。このような問題点があることは、留意が必要です。

6.まとめ

  • 年買法(年倍法)とは、M&Aにおける株価評価手法のひとつで、主にM&A仲介会社が普及させた評価手法である。
  • 株式価値=時価純資産+利益指標×3~5年程度
    で、計算するのが一般的である。利益指標には、営業利益や経常利益が用いられることが多いが、明確な定義はない。
  • 年買法は、理論的裏付けのない手法である。日本公認会計士協会のM&A企業価値評価ガイドラインや株価算定の主要な教科書にも記載はない。上場会社の株価算定において第三者算定機関が年買法を用いることはない。
  • のれん(営業権)の償却期間が税務上は5年であるが、そのあたりを目安にしている手法とも考えられる。
  • 売主と買主の双方から報酬を得る仲介会社は、売主と買主に売買価格の目安を提示する必要があるため、ある程度客観的に説明しやすい年買法が重用されている。
  • 年買法で出された計算結果が適正なものかどうかを探るには、①他の理論的な手法を使う②オークション方式によりマーケットに聞く(複数の買い手に打診する)ことが考えられる。